2009年3月20日 (金)

ミツバチのささやき

Victol_elise_bee_2 予期せず、ものすごい名作に出会ってしまった。

非常に美意識の高いとある友人が、わざわざDVDボックスセットを購入したとあっては、たいそう美しい映画なのであろうとは予想をしていたものの、もしかしてアカデミックすぎて(もしくは前衛的過ぎて)私にはその良さが理解できないかもしれんな、と思いながら見たのです。しかしながら、予想をはるか越え、私の琴線にもビジビシ触れてしまい、おもわずうなってしまいました。

ビクトル・エリセ監督の名前は正直全然知らなかったので、何の前情報も無しに見たのが余計に衝撃度を高めることになったような。10年に1本しか映画を撮らない(あるいは撮れない)スペインの巨匠である彼の、73年の作品「ミツバチのささやき」という映画。舞台は40年代の片田舎、主人公アナと姉のイザベルが公民館での映画の上映会に出かける。そこで観た「フランケンシュタイン」の正体は「精霊」であり、村はずれに住んでいる、と姉に教えられたアナは、村はずれに打ち捨てられた廃屋に心惹かれ、足繁く通うようになる。

大人になってしまうと決して見ることができなくなるもの。好きなときにいつでも、自由に空想の世界の扉を開くことのできるごく限られた時期の尊さ。成長と共に空想よりも現実世界に比重をおくようになり、いつしか空想の世界の扉の鍵を失くしてゆき、ついにはその扉の在りかすら記憶から失われてしまう。けれど少女アナの無垢な瞳を通して、私たちはかつての子供時代の気持ちを少しだけ取り戻すことができる。

瞳を閉じて、「ソイ アナ・・・(私はアナよ)」と話しかければ、フランケンと会話することができるの。

そう信じるアナの大きな瞳は美しく澄んでいて、どこまでも純真で。なにか胸をぎゅうと掴まれた気がしたのです。廃屋の暗闇に少しおびえながらもその中に何かを探す姿、使われてない古びた井戸を覗き込む姿、自分だけの秘密の世界のなかで、彼女は必至に目を凝らす。けれど、アナもきっと大人になればその世界を忘れてしまうのだろう。そんな、なんとも言えないせつなさと、映像美が際出つとても素敵な作品でした。

劇中、大人目線から見れば「危ないっちゅーに!」と思わず注意をしたくなるような遊びが続々登場します。焚き火をジャンプして越えたり(多分髪の毛燃えてます)、お父さんがいないのをいいことに髭剃りをいたずらしたり、ママのオーデコロンを顔面に噴射したり。死んだフリして(しかもかなりリアル)妹を本気で驚かせたり。姉妹の一挙手一投足に、こちらはハラハラしっぱなし。

また、アナの父の研究対象として随所に登場するミツバチが、活発な「生」を象徴しており、暗く沈んだ雰囲気の片田舎と対峙するモチーフとなっています。姉妹が住む家の様子や洋服あたりの美しさも見所として外せないポイント。ぜひ繰り返し見たい映画です。

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2009年3月 2日 (月)

男と男、それから、女。

今日見たのは「ハッシュ!」というタイトルの日本映画。昨日友人にオススメされて、早速見ることにした。

高橋和也と田辺誠一が演ずるゲイカップルと、片岡礼子扮する頭のおかしな女。三人の愛情と友情の物語。

気ままなゲイライフを送るナオヤ(高橋和也)と、ゲイであることを隠しているカツヒロ(田辺誠一)は付き合い始めたばかり。そこに突然現れた朝子は、「子供が欲しいから協力して欲しい」とカツヒロに依頼する。なかなか断りきれないカツヒロに業を煮やすナオヤは、朝子を遠ざけようとするはずが、いつの間にか三人の間に生まれていた不思議な連帯感に気がついていく。

実はそれほど期待して見ていなかったのだけれど、いや、なかなか素敵な映画でした。中心人物の三人はどこか拗ねたところがあって、そんな自分を少しあきらめているけれど、それでもまだ何かをあきらめていない様子で。彼らの行動や言葉は、どっかの誰かとよく似ている。特定の誰かではなくて、彼らのどこかしらが、私の周りにいる誰かと少しずつ似ていると思える。それから、私に似ているところも。

感情豊かなナオヤがほっぺをぷうと膨らまして怒る姿も、
優柔不断で、嫌なものをはっきり断ることができないカツヒロが、自分を嘆く姿も、
自虐的で、人を信じることができなくて、自己嫌悪の塊みたいな朝子も。

そのどれもがいじらしくて、無性にいとおしい。

「だって、ひとりで生きてく覚悟がなけりゃゲイなんてやってられないでしょ」
「ナオヤは強いよな」
「強くなんかないよ、全然。
 ・・・ひとりはいやだから、カツヒロといるんじゃん」

所詮、人っていうのはひとりだってことを痛いほどわかっているけれど、だからといって、誰かとつながっていることを諦めたくはない。だからこそ、そばに居る人を大事に思ったり、時には本気で怒ったりできるのだ。ほんとうの家族という間柄でなくても、家族と同じように思うことはできる。そういうことを思い出しながら観ました。

そして、周りの大切なひとたちのことをしばし想いました。

それはとても幸せなことだね。

Amami2007_005_3 ※カツヒロの兄夫婦として登場した、光石研と秋野鴨子もいい味だしてます。

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2008年11月13日 (木)

Happiness real when shared

人が人として幸せに生きるために、必要なことはなんだろうか。

 

友人にお勧めされて見た映画「Into the wild」は、その疑問を追求し続けたひとりの若者の話だった。お互いを尊重できない両親のいざこざをこれ以上見続けることから遠ざかり、「物欲を満たすこと」イコール「幸せ」と履き違える世の中から遠ざかり、持ち物をすべて捨て去って(ポケットに入っていたわずかな所持金すら燃やしてしまった)、彼はひとり旅に出た。

 

その後、彼は2年以上の長きにわたり各地を放浪し、様々な出会いを経験する。辛い目にもあえば、温かな人の親切に触れたりもする。そうして、最後に目指した場所はアラスカ。なぜにアラスカだったか?それはわからないけれど、そこに彼がイメージした完全な孤独と静寂、そしてなにごとにも縛られない自由があると思えたのだろうか。

 

「若いなあ」

 

思わず、私は心の中で呟いてしまった。

彼の痛々しいまでのまっすぐな心、若さゆえの愚かさ、見たままを受け入れる素直さとを見てそう思ったのだ。半ばあきれながらも少し羨ましかったのかもしれない。彼は周りのしがらみに惑わされることなく、生きたいように生きたじゃないか。そんなこと、誰もが実現できることじゃあない。だから、これはとても幸せな物語だ。

 

自然はすべての生き物に対して分け隔てがない。アラスカの荒野は生と死がとても身近な場所だ。常に食べ物の心配が必要だし、黙っていたって寒さが容赦なく体温を奪っていくのだ。そんな中で彼がたったひとりで生きるのはとてもじゃないが、簡単なことではない。きっと彼は、アラスカに行けば何かがわかると思っていたのだ。そして、どれほど自分がちっぽけなひとりの人間であるという事実を知るのだ。人間という種類の生き物が、アラスカの荒野におよそ一匹。

 

Happiness real when shared. - 幸福は、誰かと分かちあってこそ本物になる。

 

それは、そんな状況の彼が最終的に見出したひとつの真実だ。私はと言えば、その言葉に深くうなずきながら昔聴いた曲の1節を思い出していた。

 

「愛とは形がないよとは言っても 触れられなければ寂しいもんだよね」

 

まさにそうなのだ。彼が身をもって答えを見つけたように、人生にとって大切なものは形のないものばかりだ。愛情、友情、感動、そして、何かをやり遂げた時の達成感。それら形がないものを、確かな存在として感じられるのは唯一それを誰かと共有できたときだ。だからこそ、人はひとりでは生きられないのだ。

 

彼は若さゆえの真摯さと無鉄砲さを持って、大きなことを発見したのだと思う。だから、これはとても幸せな物語だ。

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2007年5月25日 (金)

恋する躁鬱病

ミシェル・ゴンドリー監督作品「恋愛睡眠のすすめ(The science of sleep)」にお誘いいただき、今日は早々に会社を後にする。ガエル・ガルシア・ベルナル、シャルロット・ゲンズブール主演の一風変わった一応、恋愛映画。一応というのは、これをはたして恋愛映画と呼んでいいものなのか、かなり疑問を感じるからなのでして。仕事も恋愛もイケてない主人公が、隣の部屋に住む素敵な女性に思いを寄せるのだけれど、ストーリーの大半は彼の妄想であり、夢の中でのできごとなのだ。現実世界部分でも、ヒロインはきちんと登場するのだけれど、メインどころは全て彼の脳内でおこった事件で。

しかも。夢の中ですら、彼の恋は全く成功していないのだから、かなりトホホ。彼女に対する思いの強さやもどかしさ、躁鬱病のごとく突如盛り上がったり、いきなり盛り下がったり。独りぐるぐるぐるぐるしている様は、お世辞にもかわいくないし、はっきり言ってキモイ。第一、現実のヒロインにしてみれば全くポカンなんですけど・・・。確かめてもないのに勝手に絶望するくらいだったら、さっさと告白しなさいよ。

しかしここまで残念で気弱なキモ男も、映像作品としてはなかなか良い仕上げになっているのは、やっぱり監督の力量(しかし、脚本もまたミシェル・ゴンドリー作。キモ男は自らがモチーフらしい。)と俳優の頑張りなのか。

ミシェル・ゴンドリーといえば、やっぱり思い出すのはビョークのPV。ロマンチックとサイケの融合あたりが彼の真骨頂というのか、この映画もまさにそんな感じ。乙女心を持ったおっさんが紡ぐおとぎ話。キモイし痛いが、二度見せずにはいられない。そういう仕上がりになっております。刺さる人には間違いなく刺さるでしょう。刺さらない人には、ひとっつも刺さらないかもしれません。細かいことを突っ込んでは楽しめない映画なので、長いPVと思って見ることをお勧めいたします。

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2007年5月 2日 (水)

エビちゃん5~6匹

おそらくもう10回は見ているだろうアネッサ(日焼け止め)のコマーシャルを、今朝また見ていて驚いた。

海辺を走る5~6人の水着の女子のうち、てっきり真ん中の人がエビちゃんだと思い込んでいたのだけれど、よく見れば全員エビちゃん。エビちゃん×5か6。ぞわぞわ。

そもそも、なぜ増やす必要があったんだ?普通にひとりでもよかったんじゃないのか?そんなにいろんなアングルのエビちゃんが見たいのか?

見たい(見せたい)んだろう。

ほんとうは、人間の目で「見えているもの」と実際に「見ているもの」とは違う、というハナシに持っていくつもりだったのだけれど、あらぬ方向に妄想が膨らんでしまったので、あえて止めることはしないでおこう。

たとえば、同じ絵づらで登場人物を変えてみたらどうだろう。

水着姿で水辺を走るエビちゃん5~6匹を、いっそピエール瀧5~6匹に変えてみてはどうか。もちろん黄色い水泳帽なぞかぶっていただくとして。満面の笑みでさ。
たぶんアネッサは売れなくなるだろうが、個人的には見てみたい。

あと思いつくのはなんだ。

青汁のコマーシャル。グラス一杯分を一気に飲み干して「まずい!」とコメントする悪役照会を5~6匹にしてみたい。いっそ、エージェントスミス並みに続々と繁殖させて「まずい!」の輪唱とかね。

えーと。面白いってだけです。意味はありません。
きりがなくなりそうなので、今日はこの辺で。

(最近、テレビネタ多いなあ)

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2007年5月 1日 (火)

完成された何気なさ

原田知世って、一体いま何歳なんだろう。

たまたまテレビをつけたら、5分間のミニドラマに出演していたので、思わず見てしまった。30歳をとっくに過ぎてて、いまだに映画みたいな素敵な恋愛に憧れる女子の役。めくるめくロマンスは訪れる気配なし。でも最近は、ビデオ屋のバイトの男の子(なぜか松山ケンイチ)がちょっと気になっている。

これって、イケてない女子の設定なのだろうけれど、そこにいる彼女は充分すぎるほどに可愛らしくて。その存在感をキーワードにすると、シンプル、素朴、可憐、いじらしさ、あと、なにげなさ。うーん。テレビの前でひとり悶絶してしまいました。なんかね、年齢とかもう全部超越なわけですよ。

テレビでの露出が少ないせいもあって、あんまり人間臭がしないってこともあるんでしょうけれど、それにしたって年齢不詳すぎます。ブレンディのコマーシャルを見てご覧なさい。完全に年齢が止まってます。色で言うと無色透明。ドラマを見ながら「この透明感はなんなんだろう」とそればかりが気になってしまったのです。原田知世、恐るべし。美しすぎです。

今日の1曲: ロボットでした/ゆらゆら帝国

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2007年4月23日 (月)

まだ見ぬクイーン

映画「クイーン」を観に出かけたはずが、都合により「パフューム」を観ることになった。

一応断っておくが、フレディー・マーキュリーの生涯を荒々しく描いた作品を見に行ったのではない。ダイアナ妃の死亡事故直後の王室を舞台に、エリザベス女王の苦悩と生き方を事実に基づいて作成された作品が「クイーン」。私がこの作品を強く観たい!と思った理由、それは本作品がイギリス映画であるということ。アメリカ人が作った日本の映画、とかではなくて(それはそれで面白くはあるが)、イギリス人によるイギリスの映画であるという点。それも、てめえんところのロイヤルファミリーの裏側に迫る内容だからなのだ。ダイアナ妃という人物は、イギリスにおける王室のあり方をある意味大きく変える影響力のあった人物。国民の王室に対するイメージや感じ方も大きく変わったのだろう。すでにチャールズと離婚して一般人扱いになっていたダイアナ妃が亡くなった直後、首相はすぐにコメントを出したのに対し、女王は当初何のコメントも発表しなかった。すでに王室とは関係ない人物なのだから、と。国民からはその冷淡な対応へ抗議の声があがり、何からの対応を迫られる女王の苦悩の日々、そして実に10日後に女王からもコメントが出される・・・。

かなり面白そうではないの。エリザベス女王を演じる女優の、完璧なコピーっぷりもすごい。見た目ももちろんだけれど、話し方やしぐさに至るまで徹底的に。というわけで、銀座まで勇んで出かけたわりには、人気のためチケット完売。余計見たいぞ。

コンビニでぴあをチェックした結果、同じような時間に上映されている「パフューム」を観た。こちらについてのコメントは。。。どうだろう、あんまり書きようがないな。あえて言うなら、途中まではシリアスだけれど、途中からは「13日の金曜日」のジェイソンを観るようだったといっておこうか。まあ、香りフェチが主人公の変態映画です。変態がジェイソンになったりタモさんになったりします(あくまで私のイメージです)。

今日の1曲:  Need U now/Soul central

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2007年4月19日 (木)

史上最強のダメ男

別に全然好きなタイプでもないけれど、世の中にはどうにも気になってしまう人というのがいる。意味もなく、なんか二度見しちゃうんだよね。

映画界で言うと、私にとってはヒュー・グラントがまさにそんな人。(他にベン・スティラーっていう人もいるが)
演技なのか、本気なのかがちょいビミョーな絵に描いたヤサ男。しかもタレ目。
無責任で、軽そうで、若干頭悪そうで、でも歯が綺麗。傍から見ていて、こんなに面白い鑑賞物があるだろうか。あくまで演技だろうけどね。

かのエリザベス・ハーレーと蜜月だったときも、2ショットだとなぜか「すみません」な態度が印象的だった彼。ハーレーがパワフルすぎるって話もあるが、そこに和田アッコと峰竜太的な力関係を感じたのは私だけではあるまい。本来は正統派美男であるはずの彼なのだが、まさにそのトホホな居住まいに彼のよさが集約されているといってもいいのではあるまいか。

なんかね、「ウワキしちゃってバレちゃってすみません(タレ目)」という状況でも、悪気がなくて完全無抵抗だし。ここまでされちゃったら、女子としてはもう許すしかないだろというふうになりますね。ひいては「私がいないとだめなのね」という具合になったり。そこまで計算してるかどうかは知らないけど。

さておき。
以前「僕はもうラブコメには出たくない」とインタビューで語っていた彼。じゃあ次はどんな映画に出るおつもりなの?と密かに思っていた私ですが、新作のコマーシャルをみて言葉を失いました。80年代に一世を風靡したアイドル、でもいまは忘れ去られてしまったという設定の主人公が、ドリューバリモア演ずるヒロインと・・・という内容のようなのだけれど、一体どこが変わったんだ、ヒューよ、と思ったのもつかのま、白バックで歌って踊るアイドルシーンが流れたあたりで納得しました。彼がやりたかったのはこれだったのか。歌って踊れるヤサ男!まさに新天地開拓ですね。(いや、ほめてますから)

絵に描いたヒュー・グラントが見られる素敵な映画:「ブリジット・ジョーンズの日記
自分に求められているものを良くわかっているプロのお仕事です。

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2007年4月16日 (月)

ほろりできる映画を。

とある送別飲み会で、とある人のキョーレツなパフォーマンスを見ていたら、ふと「プリシラ(The queen of the desert)」を見たくなったので、日曜の夜は自宅にて上映会。プリシラは「ニュー・シネマ・パラダイス」と並んで、私のベストオブベストムービーに入る大、大、大好きな1本。

オーストラリアの青空の下、どこまでも続く砂漠。3人のドラッグクイーンがトラックで旅をする。彼らはそれぞれに問題を抱えていて、そのド派手な女装スタイルの内側には、傷つきやすくて脆い心。人生は苦いこともあるけれど、信じて進めばきっと良いこともある。辛いときにこそ、夢や愛、そして自分自身を大切にしなくちゃ、そんな勇気をもらえる映画です。この映画、もう何十回と見ているはずなのに、今日もほろり。とても、いいんですよ。

演ずるのはイギリスの名優テレンス・スタンプ、メメントやLAコンフィデンシャルのガイ・ピアース、ご存知エージェントスミスのヒューゴ・ウィービングのお三方。ABBAやビレッジパープルなどディスコナンバーてんこ盛り具合もヤバイですし、アカデミーで衣装賞をとったコスチュームも檄ヤバ(美しくもキタナイ)。見てないという方、ぜひお試しを。

I've been to paradise, but I've never been to me...

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2006年6月11日 (日)

号泣

テレビドラマや映画の、かわいそうなシーンや感動シーンにはめっぽう弱いほうなので、まあ基本的には何をみても泣くのですが、昨日も映画館で号泣してしまいました。久々に邦画を見たいなあと思い、「嫌われ松子の一生」を見たのです。

ストーリーはというと。とある女性の転落人生を描いており、よくもまあこんなに次から次にどうしようもない男と付き合って、毎度裏切られて、精神的にも肉体的にもボコボコにされて、と悲惨極まりない話なんだけれど。映画版では、そんな悲壮感はほとんどクローズアップされることなく、極彩色のフィルター越しに見るめまぐるしい急展開ドラマになっている。要所要所にミュージカルのように歌、踊りを効果的に挿入し、テンポよく味付けし、数多い登場人物も、小説に出てくるキャラクターをいったんディフォルメして、そのあとで100倍程度に濃縮したような極端な人物化。そして、非常に豪華なキャスティング。アニメを見ている感覚といえばよいのか、すべてはジェットコースターのように一気に流れていくので、あれなんだっけ?と思う点もなくはないが、全体的に見て、非常によくできたエンターティメントであるな、と思ったしだい。監督は「下妻物語」の 中島哲也氏。なあるほど、という感じ。ここで小説版と比較してどうか、というようなことは意味がないと思うので敢えてしないのが、良しと思う。

と、ここまで書くと、なぜに私が号泣する必要があるのか、と思うかも知れない。が、実際私は映画の途中から終わりにかけて、恥ずかしいくらいにオンオン泣いていたのだった。なぜって、それぞれのエピソードは極端に派手でギラギラしているかもしれないが、彼女の気持ちはなんとなくわかるからなのだった。物語のはじめから終わりまで、彼女はいつも愛されることだけを願って、純粋に生きている。世間は彼女を異端児として怪訝な目を向けるのだが、彼女の最初のつまづきは、そのまじめさゆえに小さな失敗を認められなかったことに始まり、それは誰にでもあることだと思うから。「ありがとう」と「ごめんなさい」の二つの言葉は、早い段階で言ってしまったほうが遥かに楽で、実際言ったもん勝ちなのだ。でも、素直に言うことは多少の勇気を要するのだよね。彼女はあまりにも高いプライドの持ち主で、そのくせ不器用で素直になることができなかった。そのせいで自分をどんどん追い込んでしまって、愛されることもなくいつもひとりぼっちで、どこで間違えたのかと愕然とするのだった。ほんとうは愛される道はあったのに。そんなことを考えていたら、涙が止まらなかった。中谷美紀演ずる松子が道をスキップするのを見ながら、鼻をズビズビ噛んでしまった。

サラリと楽しむもよし、どっぷり浸って泣くも良し、なかなかお勧めの作品でしたよ。中谷美紀の鼻血たらしながらの体当たり演技も見ごたえ十分だし、弟を演じる香川照之もほんとにいい味の役者さんだし。

それにしても、最近年齢のせいか、ほんとに涙腺ゆるいんだよなあ。トトロ見ても泣くもんなあ。

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